古代飛鳥を歩く(千田稔)

この国の原点ができた土地

 6世紀末から8世紀はじめの百年間、仏教が伝来し、大陸や半島の影響を受けつつ国のかたちが模索されていたい時代。この国のかたちができつつあった時代の中心地である。

 飛鳥は奈良県の中央部に位置する。推古朝のころには飛鳥の隣あたりに小墾田宮(おはりだのみや)が置かれていたほか、舒明天皇の飛鳥岡本宮、皇極天皇の飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)、斉明天皇の飛鳥岡本宮、天武天皇の飛鳥浄御原宮(きよみがはらのみや)と、ほぼ先代の宮の土地に重なるように、宮が造られた。

 三輪山の南麓、慈恩寺の近くには欽明天皇の磯城嶋金指宮(しきしまかなさしのみや)があったとされている。ここは仏教公伝の地。百済の聖明王から仏像や経典が贈られた。仏教伝来は、この国のかたちが創られていくうえで、かなりのインパクトを与えた事件だろう。その受容には仏教推進派の蘇我氏ともともとの神を重んじる物部氏とが争ったが、蘇我氏が勝って、以後、鎮護国家といわれるように、仏教が政治・文化に大きく影響を及ぼすようになる。

 飛鳥寺(法興寺)は、蘇我氏の氏寺であり、我が国最初の仏教寺院。その伽藍配置は、高句麗の清岩里(チョンアムリ)廃寺がモデルであることが通説となっている。現在の桜井市、吉備池近くには百済大寺があったようである。日本書紀によれば、舒明天皇の時代、百済川のほとりに宮と寺を造ることが企図された。それが百済大宮と百済大寺である。地名や宮、官寺の名称に他国の名を使うほどに、当時の百済との関係が深かったのだろうか。

 いずれにしても、この国のかたちができつつあった時代に、政治・文化など様々な面で半島から大きな影響を受けていたことは間違いない。

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