東京地形散歩

かつては水の都

 東京には一級河川が92あり、2級河川も15にのぼる。歌川広重の「名所江戸百景」にも、水を湛えた江戸の風景がいくつも描かれている。

 都心の水辺といえば皇居周り。江戸城は、武蔵野台地の縁に位置する平山城で、内濠の中だけでも標高差が25mもある。自然の河道や谷を利用してつくられており、内濠の水位がそれぞれ異なることから、半蔵濠から千鳥ヶ淵、牛ヶ淵、清水濠、大手濠、桔梗濠へと水が順番に移動するように設計されている。内濠の水は日比谷濠に集められ、外濠、汐留川を流れて江戸湊へつながっていた。

 外濠については、北を神田川が流れ、飯田橋から純然たる外濠になる。飯田濠、牛込濠、新見附濠、市ヶ谷濠ときて、真田濠となるが、市ヶ谷濠の西側と真田濠は埋め立てられてしまっている。その先は弁慶濠があり、溜池。いまは埋め立てられているが、かつては不忍の池よりも大きい池があったらしい。そして汐留川につながり江戸湊へ。埋められた外濠も痕跡が残っていて、虎ノ門三井ビル前には隅櫓の隅石があったり、霞が関コモンゲートには石垣が展示室で保存されていたりもする。

 都心を離れて新宿へ。新宿も結構水にゆかりの地だ。玉川上水は、甲州街道沿いに敷設されていて、四谷の大木戸から先は石樋などで江戸市中まで引かれていた。四谷大木戸は幕府が出入りを監視していたところだが、隣接して水番所もあった。

 東京になってから近代水道が導入される。明治19(1886)年にコレラが流行したのをきっかけに、水道事業が進展。明治31(1898)年、東京市水道は、和田堀内村泉(現、代田橋の北)から淀橋町角筈(西新宿付近)まで通水。淀橋浄水工場から東京一円に配水した。いまは淀橋浄水場跡に高層ビルが林立しているが、新宿中央公園には、淀橋浄水場の遺構である富士見台の六角堂がみられる。

 新宿中央公園の下には、かつて十二社(じゅうにそう)という、自然の池のほとりに誕生した盛り場があったが、いまは池も埋め立てられて、熊野神社に十二社の碑がある。

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